仙台育英高校(宮城県代表)の優勝で幕を閉じた第104回全国高等学校野球選手権大会。
そこでニュースなどでやたらと叫ばれる
「優勝旗が白河の関(しらかわのせき)を越えた!」
とはどういう意味なのでしょうか。
今回は白河の関越えの意味や歴史的背景を調べました。
白河の関とは
白河の関(しらかわのせき)とは今の福島県にあった、
鼠ヶ関(ねずがせき)、勿来関(なこそのせき)と共に奥州三関(おうしゅうさんかん)と呼ばれる関所の一つです。
白河の関は都(今の京都府)から奥州(今の東北)へ行く玄関口とされていていました。
白河の関と松平定信
そんな白河の関ですが関所としての役目を終えた後は、長らくその場所が分からなくなっていました。
その白河の関の場所を特定したのが、寛政の改革で有名な白河藩主松平定信(まつだいらさだのぶ)です!
松平定信は1800年にさまざまな考証の結果、白河神社のあるところが白河の関のあった所だと結論付け、1966年には発掘作業の結果、国の史跡にも指定されています。
松平定信は失脚後、特に白河藩の藩政に力を入れていますから、
寛政の改革が上手くいっていた場合、白河の関の場所の特定が遅くなっていたかもしれませんね。
白河の関越えの意味
このような様々な歴史的背景のある白河の関ですが、よく高校野球で聞く白河の関越えとはどういう意味なのでしょうか。
これは一言で言ってしまえば、
東北勢が甲子園で優勝した!
という意味になります。
甲子園の優勝旗が白川の関を越えて東北にもたらされたという意味ですね。
昔から冬場に雪でグラウンドが使えない東北勢は不利とされていて、
甲子園で優勝する難しさから白河の関越えが注目されてきました。
※北海道はすでに甲子園で優勝していますが、空路で優勝旗を持って帰ったそうなので白河の関は越えていないと判断されています!笑
まとめ
今年の甲子園は仙台育英高校が優勝し、優勝旗が白河の関を越えた歴史的な大会となりました。
こうして書くと東北勢の優勝がフロックのようですが、最近でも、
- 2015年仙台育英高校(宮城県)(佐藤世那選手他)
- 2018年金足農業高校(秋田県)(吉田輝星選手他)
と準優勝をしていましたので、そんなに遠くない未来に白河の関越えは達成されそうだと高校野球ファンは思っていたのではないでしょうか。
近年の東北勢の勢いは凄まじいものがあり、白河の関を越える
2校目、3校目が出てくるのも時間の問題かと思います。
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